一日につき千文字くらい

一日につき千文字くらい

『ボールペン』#3

1年くらい前に見かけて以来、普段使いのボールペンは「Juice up 0.3(pilot)」のブラックとブルーブラック。筆圧が強くかかっても丈夫なペン先ながら、とてもとても細くサラサラっと書けて重宝している。それまでは「SARASA CLIP 0.3(ZEBRA)」。理由は同じくペン先の強さと細さ。

ノート(手書き・作業用)に文や絵をガリガリ書くときに文字が小さくなりがちな私、線が込み入った漢字(「看過」とか「建築」とか「平面・断面」とか)を書くと横棒がぎゅーっと近接する。特に弱るのは「建築」。自分のノートに書くぶんなら、「平面・断面」あたりなら「plan・section」と書けばわかるし速いし、ネイティブの手紙みたく書いてみればもう愉快(「看過」は思いついたから挙げたけどそうそう書かないや)。ただし「建築」に関しては自前のノートにも「Architecture」と書くのは却って仰々しいし「ケンチク」は変に対比的・抽象的に過ぎる。また自分の出身大学等々を書く公式な書類では「建築」と書く以外ない。線を書き分けられず黒い塊になったんじゃ困る。「●▲学部●▲学科」。伏せ字というよりクイズみたいだ。とにかく線はボールペンで自ずと書き分けられるのが一番。

使うボールペンに関して気にするようになったのはたぶん、大学1年の後期、「建築デザイン基礎」(だっけ?)の授業で非常勤の建築家の川西先生から教わっていたとき。「建築」について学ぶ初めが川西先生からで、本当によかったと思っている。授業のたび、課題の趣旨・考える時のコツと要素(backgroundとconceptの話)・エスキス(設計案に関して先生や同輩と行う意見交換)などなど、ほんとうにたっぷり時間制限なく(なにせ3,4,5限ぶっ通しで、次の授業もなかった)話してくださった。そのなか、設計案を考えるスケッチ帳・エスキス帳に何かを書くとき「考えたことを、消せるものでは絶対に書かないこと」と言ったのはくっきりはっきりと覚えてる。「堂々とでっかく太く書き残しておくこと」と。2010年ごろ、まだフリクションボールペンが普及していないころ。高校生上がりで、なおかつ前期にあったスケッチ課題で鉛筆やシャーペンで描く癖が残っていたころ。「自分が何をどう考えたか、考えた経過を残しておくこと」、大学1年の頃は書くもの描くもの未熟で稚拙で、嫌でしょうがなかった。当然、シャーペンでうっすら書いては消して、「せめてこうありたい」って姿に調整していた。「消さない」指令は強烈だった。

恐る恐るボールペンに握り変え、たしかSARASA CLIPの0.7とか使っていたと思う。エスキス帳は、安くてたっぷり書ける無印良品のB5版のらくがき帳。0.7のゲルインクボールペンは、小さな字も絵も許さない。1ページごとに一案・添え文・ポンチ絵・反省、パワーポイントよろしくスライド的に書いてた。とにかく、見返しづらかった。わたしの脳はページわけするとすっかり切り替わってしまうらしく、全てが一面に入っていないと思考がスパークしなかった。そうすると結局、とっちらかって放漫で「結局何をどうしたいの」「そのコンセプトは、このテーマで取り上げるものではなくない?」ということになる(考え事の誘発剤にと、まったく関係外のところから種を拾ってくるのは当時から変わらん)。

それはともかくとしてとにかく、書き始めたら止まらないもの(#0の『雑文』以来淀みなく進んだ)は一息に、一面に、漢字の細かさを気にせず、書きおさめて眺めたいものです。

 

#ボールペン #171218