一日につき千文字くらい

一日につき千文字くらい

『走る』#9

深夜、街中を走るスピードが上がっていく。呼吸は荒くなり視界に捉える風景は前方進む路面に絞られる。少し傾いた道路の勾配と固いアスファルトから受ける膝への衝撃をもって、地面と一緒に疾走している感覚、ゾーンに入る。

これまで、夜中にランニングをする具体的で内発的なも理由って考えたことなかったんで、走ってる時の心地を思い出しながら少し考えてみた。外因としては、平日に日中から遅くまで仕事していたら走る時間は自ずと朝か夜かに絞られて、朝弱い私は消去法的に夜に走ることになる。元々、走るのは好きだったし、働いてしばらくしてからデスクワークによるものか背筋の弱まりを感じた時があって、仕事終って帰ってから時々走るようになった。ナイキのiPhoneアプリを使ってて、見返してみると月数回で定期的に走るようになったのは2016年5月のこと。1年ちょい前。記録を付けたいのと、ペースを把握したかったのがアプリを使い始めたきっかけ。

中学の部活が陸上部で主に3000mの長距離を走るようになって、ペースの上下で長く走ることを知ったのがこの頃。ただ走れるだけ速くずっと走り続けたんじゃ、少しずつ足が回らなくなっていってゴールにたどり着く前にはガス欠で動けなくなる。そんな当たり前のことだけど、自分がある距離を走れる最大限のペースを保つ(そして時々スパートをかける)ことで、距離を早く走るという(表現がうまいかは怪しい)考え方になった。

いまのところ10km走ることはなくて、コースは、2.6kmの周回(基本的には2、3周)、6.7km、8.6kmの3パターン。これまでだいたい真ん中の6.7kmを走っている。アップとダウンとストレッチで15+15分、ランが30分、合計だいたい1時間で終わるっていうのが決め手。なるべく、息も上がって集中できるペースでってことで4'20~30"/kmで速めに走る。ちなみに家から駅まで徒歩15分ちょいの道のりを、だいたい10分弱で乗れるペースが先のもの。出発がちょっと遅れて急ぐ時のペース。

そもそも、そもそも長いランニングが好きになったきっかけは小学6年の時に遡る。たぶん6年。川崎市の小学校選抜対抗の陸上競技大会に向けて、長距離は1000m、希望者で練習するときのコーチは校長先生だった。快活なひとで、毎年河口湖のマラソンを走っているらしく(年賀状で毎年加算される回数は40を超えて50に近づいてきた)、強烈に驚いたのは小学校まで2時間走って通勤しているという話。その話を聞いた当時より、年増しに凄さが強まってくる。自分が走るのも子どもらが走るのも楽しそうで、いつでもニコニコとしていた。体育館での朝礼や行事でのお話もなんか、ちゃんと聞けて(話は覚えてないんだけど)楽しかった記憶がくっきり。結局大会の選手には選ばれなかったわけだけど、あのとき練習してたメンバーがごっそり、中学で陸上部に入ったっていうのも校長先生の影響があったはず。

「楽しく走る」姿勢と、「走るのが楽しい」心持ちが合わさっている。もっと長く、走れよう。

 

#走る #171224

『ギザジュウ』#8

家の机の横っちょ、本棚とペン立てが乱立(わたしの部屋と机は基本的にきたない)しているなかに、中学の美術の授業で作った、直径10センチ高さ5センチほどの籐のカゴうつわがあった。そのなかに、これまた雑然と消しゴムやボタンやキーホルダーのホルダー部分が入ってる底に、10円玉と100円玉が数枚ずつじゃらついていた。へそくりか、洗濯物でうっかり回しちゃって出てきたけど財布に入れ忘れたのがあったか、と思ったけどその10円玉のうち数枚、古臭くて青サビのついたのもあるけど周りにギザギザがついているのを見留めた。ギザジュウ。

みなさんご存知だろうか、いまあまりテレビでも注目されているのを見てないけれど、小・中学生の頃に見た鑑定系の番組や雑学・クイズ番組なんかで時々取り上げられていて収集欲を駆ったものだった。

小・中学生の頃、買い物はもっぱら小銭、100円玉や10円玉が主だった(中学生の頃は、もすこし単価高かったわな)。お釣りでもらった10円玉は必ず側面をチェック。もしギザギザがついていたならばカードポケットに移して、うっかり使ってしまうことのないよう選り分けた。そうホイホイと出てくるものではなく、「貴重」と言われるだけのことはあるなと思った。わたしの財布の小銭スペースはいつでもジャラジャラと重かった。なるべく10円玉のおつりが出るよう支払っていたし、当時、お札は持ち慣れておらず財布が「重い」ということはお金が入っているんだと実感できて苦にもならなかった。宝にめぐり合うのをひたすら待った。そんな小銭スペースも、500円玉は貯金箱行きで見通しは良かった。

初めに出たギザジュウのことは覚えていない。喜びがあったのかどうかも覚えていない。たしか周りのひとが早く、多く集めていて遅れをとっている状況だった。そもそも、テレビが先か、誰かが持っていたのが先か、それも記憶にない。追いかけて追いかけて、世界から少しずつギザジュウが消えていくなか夢中でお釣りを生み出し続けた。

今日、器の底から出てきた数、総じて8枚。なんとも多くもなく、少なくもない、中途半端な数だと思った。おそらく流行りが過ぎて、飽きたんだろうなと想像する。集めた数も、10枚には満たないけど悪くない数字に思える。

いまの私にはギザジュウ収集への情熱はさっぱり無い。この8枚をどうしようかと、しまい場所を考えあぐねて、ひとまず机に重ねて置いている。8枚あると、結構重みがある。いまこうして打ち込んでいるスマホより重たく感じる。

ほんとうか。

iPhoneSE → 113g

10円玉8枚 → 36g(4.5g/枚 × 8)

まったく、軽い。

 

#ギザジュウ #171223

『ラッキーナンバー』#7

日本では7がラッキーナンバーとして一般的ですね、ラッキーセブンが(地元川崎のパチンコ屋にはタイガーセブンがある)なんとなーく大事にされる。わたしもなんとなーく気にします。ただ、気にする具合で言えばラッキーな7より、アンハッピーな4や9の方が強い。できれば遭遇、目にする回数は少なくしたい。7って数字を積極的に取りにいくことは、回しものぐらい。ポケモン緑のタマムシシティで回したのが最後か、金銀で回したかあるいは。それでこの一文が、今回のノートにおける7文めで、ファンファーレが鳴るともないが私のイヤホンからちょうど好きな曲、スーパーカーのKarmaが流れてきて快哉を叫んだのは胸中脳内。おめでとう7文め、よろしくありがとう8文め。

ラッキーナンバーは一般的な7よりも、ある条件下でのある数字、その方が胸のラッキー&ハッピーは強いように思う。私個人で言えば、若い番号から、名前からも由来して1、少年野球やってたころの守備位置と背番号5、誕生日の日にち21、…っとこんなもん。入試合格の番号をお気に入りに思ってたはずなんだけど一時期の流行りで終わり、いまやどの番号も覚えていなくてそれはそれで無念さを感じる。誕生日と同じ4桁数字なら時刻表示で見たらテンション上がるし、車のナンバープレートなんか特に。覚えていないしいま調べもしないんだが時刻表示については、自分の誕生日の並びを見る確率(回数)が高く(多く)なるのは研究結果があるんだったけか。想像するところ、無意識に目に入る表示から追って時刻を見てしまう、ということもありそう。時計や、車のナンバープレートにしても、数字が1でも違えば惜しいけど、違う(時計は待てば訪れるタイミングはあるけど、さ)。

ある数値や数量を表す記号・文字としての数字の役割がある、そう書いた上で、ラッキーナンバーが面白いのは、基本的に自然数(正の整数…これでいいんだっけ)だから「一致するか・一致しないか」が明確に分かれる、判断の余地をもたず決定する。12:22をラッキーナンバー(時刻)としていたとする。12:21や、12:23はわずか1分の違いで惜しいけど、不一致なのだ。

昨晩の「アジフライ=好きなもの」や例えば「トートバッグによくある白色=好きな色」と、自分に何かしら紐付く「好きなもの」を設定したとして、アジフライや、トートバッグによくある白色、これらは明確な境界線(集合の範囲、の、かな)を持たない。衣がしょぼしょぼでも、アジが小さくても、また見たことはないけどアジの開きが二枚重ねになっていても、アジフライであることには変わりない。トートバッグによくある白色にしてもそう。ただ、逆方向の認識というのは難しい。というのも、「アジフライ」からイメージされるものは基本的にひとつのイメージ像をもつ、のではないでしょうか。1人につきひとつ。先述した、衣・大きさ・量の例では、ひとつのイメージされるアジフライとは100%の一致はしていないけれど、この姿は自分が持っているアジフライと似ているところが多いぞ、条件に概ね当てはまるぞ、と解釈して「アジフライ」と認める。

いま、一義的なものである数字と、多義的・抽象度の高いアジフライ(ものの名称)とを対置してみて何がわかるか。正直、なにか対照して明かそうと並べたわけでなく比較をするでもなかったから、何か判明するというほどのことはない。たまたま、今回の投稿ノートが#7で、「ラッキーナンバーだ、ラッキー」って思う気持ちからお題目にしましたが、「たまたま合致したら嬉しい」その気持ちは、一切のズレもなく一義的にピタリと同じ数字でハマってくれるから、安心して喜べる、のかもなぁと思わされた今回の書きもの。

 

ある物事を「わかる」とは、「心像を描ける/心像に結びつく/心像に合致する→自分で心像を再構成できる」ことだそう。『「わかる」とはどういうことか』(山鳥重,ちくま新書)から、微妙な誤認識を生むかもしれないけれど上記。

引っ張ってきたこの文が7段落めとなったので、結びます。

 

#ラッキーナンバー #171222

『アジフライ』#6

「好きな食べ物はなんですか」

“うーん、アジフライ、ですね”。

「そう」問われれば、“こう”答える。アジフライ好きなんです。

「いつから」

意識したことはないんですが、中高生の頃だったろうと思います。うちでの揚げ物は基本的に買い物で、家で揚げることはないんです。それもあってちょっとだけ、揚げ物を毛嫌いしてた時期もありました。よくテレビや漫画で描写される「サクッとした衣」「中のジューシーさ」はトースターやオーブンではピンとくる再現がされず、重たい油の感じが苦手でした。ただ、アジフライに関して言えば、衣がしっとりしていても温めてあれば、いや冷たくさえなければ、醤油をぽちぽちっと垂らしてアジの食感と塩味をおいしく食べれて好きでした。油とか、衣とか、なんでか気にならなかったんです。不思議なもんで。

「すると、、あまり得意でなかったお惣菜の揚げ物のなか、アジフライを“認め”られたことが初まりだったんですね」

まったく偉そうな話ですよね。いまはどの、スーパーのお惣菜にも抵抗はありません、反抗期なだけだったんです、おそらく、恥ずかしい話ですが。勿論カラッと揚がって身がジューシーなアジフライなら、言うことありません。最高です。

「ところで恐縮ですが、好きな食べ物として一番に“アジフライ”を挙げるひとは、なかなか珍しいように思いますが、、」

ーーっと、アジフライトークを展開してきた今回のノートは、今日読み終わった村上春樹さんと柴田元幸さんの『翻訳夜話』という本のある部分に端を発するものです。

以前に村上さんに寄せられた相談で、入社試験に際して原稿用紙3枚で自分について書きなさいと企業から課題が出されたが3枚程度で書けるわけがない、村上さんなら、というものがあったそう。

それに対して、自分について書こうとしたら足りないし煮詰まってしまうとして、「カキフライについて書きなさい」と村上さんは言う。以下に続きを引用します。

 

“村上ーーえーと、つまり、僕が言いたいのは、カキフライについて書くことは、自分について書くことと同じなのね。自分とカキフライの間の距離を書くことによって、自分を表現できると思う。(中略)いちばん必要なのは、別の視点を持ってくること。それが文章を書くには大事なことだと思うんですよね。みんな、つい自分について書いちゃうんです。でも、そういう文章って説得力がないんですよね”(村上春樹柴田元幸『翻訳夜話』文春新書,2000,p235,l5)

 

読んだときに脳が言った。「あ、今日のノートのお題決まったわ」と。「アジフライ書くっきゃないっしょ」と。

まさか、村上春樹のアジフライと(書き間違えたけどこのままでいいやと押し切ります)、私のアジフライとがシンクロニシティを発揮するとは思いもよらなかった。

私にとってのアジフライとは、単純に「一番好きな食べ物」ではなくて、あくまで「好きな食べ物は」と聞かれて答えるものなんです。

会話・友好のきっかけとして「好きな食べ物」を聞くこと聞かれることはとても多い。私はメロンも好きだしガパオライスも好きだし豚肉と白菜のミルフィーユ鍋だって好きだ。というか、嫌いな食べ物が無くて、食べ物全部好き、みたいな食いしん坊。それでも、何かをと答えるときに、考えた。誰もが知っていて、調理に変に手が込んでいなくて、身近で手に入りやすく、あまり嫌いだって言う人が少なそうなもの、…そしてできれば「なんでそれを一番に挙げるの」ってリターンが期待できるもの、という選考を通過した(って理屈付けをしている)のがアジフライだった。

私はこうして、私とアジフライとの距離をもって、誰かとの距離を縮めるきっかけとしているのです。

アジフライトーク終了。

 

#アジフライ #171221

『通学路』#5

なんでこれをテーマにしようと思ったのかカッコいい理由づけもなく、玄関出てふと、「左に進んでも右に進んでも、途中までは小中高の何かしらの通学路と同じなんだよな」と思ったんです。通学って熟語は使うことなく通勤になって数年経ちますが。

もっとも活発で愉快だった通学路は、やっぱり小学生のころだったんじゃないかな。家からは今の足で徒歩10分弱。西門と東門がこどもの通用門で、それは正確な真西・真東でもない。そのうちの西門へと向かう、東向きの通学路、ほぼ一本道。家を出た少しのところで集合して、緑のおばさんが渡らせてくれる道を渡れば交通量は特に多くない。そもそも、緑のおばさんって普通名詞ではないのかな、少し交通量の多い道をこどもが横断するため、旗と笛とで“信号”をやってくれていた。その道を横断したあと、記憶に残っているのは影踏み鬼をしながら学校に向かったこと。ふだんキャッキャと喋りながら歩いていたけど、体育かなんかの時間にその遊びをやったあとに流行った。ちょうど正面から朝日が照るので、影は鬼が踏みやすい方向に出る。右へ逃げたり左へ逃げたり、頭の影を踏まれそうになればしゃがんでみたり。とにかく、あのころの通学路は道幅いっぱい占めていた。

中学にあっては方向が90度ばかし変わり、家を出てからは南に歩く。商店街をひたすら歩くのだけど、アーケードはなく特段の歩行者通路もない。交通量はまあまあ多い。チェックポイントっていつから意識したんだろう、交差点を認識したころかな。ファミマ、根岸んち、梅の湯、、少し折れて学校にあたったら、行きは柵沿いに歩いて門へ。帰りは門からまっすぐ出て少し歩いて、商店街にぶつかる。かなぎん、精肉屋(というより、店先で出してる炭火焼き鳥の匂いが部活帰りにはつらく、焼き鳥やとしてのイメージが強い)、そして梅の湯、…っと行きの通学路に重なる。雨の日の室内練、校舎内を走って筋トレを一通りやって帰るのがだいたいいつもの感じだったんだけど、なぜか、なぜか夏の休日昼の雨の場合、必ず帰り道の残り300メートルでお腹をこわした。あれはなぜだったんだろう。長く耐え忍ぶ、つらい道のりだった。家が近くて本当によかったと思った。中学の時は、学区が遠い小学校から上がってきた子らは1時間弱歩いて通ってきてた。こんな、学校はたくさんあるような地区で、珍しいものだなと、思ったもんだった。でも、そのおかげか、行動域がぐんと広がって、地図感覚を養ったのってそのころな気がする。先日彼女と地図感覚と「上・右」でなく「北・東」って話をしたばっか。たぶんこれだよ、行動域の地図化。

高校と大学は電車通学で、とは言っても高校は近いところがいいのとラッシュに当たりたくないって理由から一駅7分下り方面。大学は親元を「少し」離れたいって理由から東京湾を巻いて1時間少々。家から駅は大通り、わりとすぐに繁華街(っていうか繁華街しかない)に突入するから粛々と早歩きで、ほとんど前と上だけしか見てなくて、時々「みんな前見て歩いて、ロボっぽいな」とブルっとなって、首を回して周りの景色を見やる程度。街路樹は確かシラカシと思うんだけど実をつけないしいつでも緑で、葉もほとんど落とさない。気温と服装と日の長さだけが季節を捉える頼り。歩道の道幅は広いけれど、もう、通学路は一筋の線だ。

唯一、高校の帰り道、校舎が駅から30分ほど登った場所で、駅との主だった道は右巻きと左巻きにゆく2通りだった、ただ、アルペンと呼ばれる駅方面直滑降ルートがあった。勿論斜面ではなく階段で、駅まで降りられるわけでなく、道のりとしては5分の1程度だったけど、住宅街・高速道路と、駅周辺と、遠景の高層ビル・マンション群が一望できたあのルートは忘れ難い。広かった。視界が。その直後にまた駅周辺の雑多な街並みに降りていくんだからなかなか劇的な視界の変化なんじゃなかったろうか、その衝撃は感じたことないけれど、心に残ってる人はいるのかもしらん。

いま、車を運転するようになって目に留めるのは速度表示と道路上の案内板ばかりだけれど、青い三角形(正確には五角形)(アンビリーバボーかなんかであの標識は実は、連れ去り事件の後ろ姿が元図なんだって説を観てからちょっと怖い)があれば広々と道を空けておきたいなと、この瞬間だけでなく今後ずっと意識できれば最上かと。

 

#通学路 #171220

『が(格助詞)』#4

一番初めのノート、『雑文』#1に示したように、単語(品詞問わず)の「品詞問わず」に食い込んでいこうと。そもそも、わざわざカッコ書きで条件付けした一番の理由はこいつ『が(助詞)』にある。いっつも心に引っかかるーー方々で見かける文で例えば“絵が描きたい”などーーその格助詞『が』である。

今回、千文字書くよりも端的に「どれぐらいの人が気にして・気にしていなくて、気をつけているのか」を知りたい、というと反響待ちになるので微妙なんですが、「わたし結構気にしているんです」って意見表明ですと言えば適当かなと思って書き連ねてまいります。そして、大風呂敷の幻影を見せるような気持ちなんですが、“日本語レトリックの妙味の基礎”の一角をこの格助詞『が』が担っているんだと信じている面があります。詳しく国語的な正しさは各自別途。それでは。

“文章が書きたい”。このツイートを見かけたのが数日前で、なかつかくんのものだったと思う。この文について言えば、それほど違和感はなかった。それでも当然、意識に引っかかるものではあった。文の構造から言えば、先の一文は「文章を書きたい」でも構造的には間違いではない。私は頻繁に「“が”ではなくて、“を”でいいんじゃないのか?」と思うタチなのだ。ただ、先のツイートに関して違和感が弱かったのは、なかつかくんが“文章”に対する強い情を持っていることを知っているから。格助詞「が」が示したのは、彼が「書きたい」と求めたのが「文章」であること。もし仮に“文章を書きたい”とツイートされていたら私はその一文を覚えていなかったかもしれないし、この千文字ノートも先送りになっていたかもしれない。「あぁ(文章をと書かれていたとしても実際はおそらく)何でもいいから何か書きたいんだな」と思ったそのまま。なんかなんでもいいから「書く、そのことをしたい」だけなら、Twitterで何かしらを書いてツイートするだけでそれは達成されているはずで、意に留めるものじゃない。さて。書くうちにだんだんとこのノートの意図がぼやけてくる。私が意に留めたのが「なかつかくんの文章」が気になるからなのかもしれない、と。そうかもしれない。「“を”って書かれていても、なかつかくんのツイートだったら“文章”ってだけで意識に留めたんじゃない?」と言われたら反論しきれる自信は無い。とはいえ。「格助詞『が』についての文章が書きたい」気持ちは変わっていません。続けます。

建築設計をやっているとき、折に触れて痛感させられた/したのが「自分は本当に建築家的“意志”に基づいた建築設計がやりたいのか」ということ。物件に対して「どうすればよいか」を考えるときに私が無意識に使っていた構文は「わたしは、こう(設計)したら良いと思う」というものだったと思う。これは振り返ってのことで、事実口にして使っていたかは不明。ただ、「わたしは、こう(設計)するのが良いと思う」と明瞭に言えたことはあっただろうかと、苦々しく回顧する。所長には本当にお世話になった。「こうしたらいいと思います」と話す私に、深い視線と「本当に?」という問い直しを与えてくれた。格助詞『が』が与える「意志の力」は、文章に書かれる姿を遥かに超えて強い(次元が違うんだ。そりゃあそうだ)(…本当に?次元が違う?)。

ここまで書いてきた文章では「〜したい」という希望の文脈で使う“が”と“を”を対比的に書いたものの、助詞のニュアンスは人によってかなり違うから物凄く偏った意見のではないかと思えてきた。

 

ここまで書いて、たまらなくなって3つほど、検索して上位に出た下記リンクのブログ記事と論文を読んだ。

2つ目は私の見立てに近いが、1つ目と3つ目はフラットながら、1つ目に関しては“を”の方に希望の強さを捉えている。

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/38482/blogkey/1302634/

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/503235/489055/58797922

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/599/599pdf/higasiya.pdf

 

煩雑になって終われなくなってきたので、締めくくりにひとつ。時折ツイッターのタイムラインで見かけるある呟きは、私に一切の解釈をさせない。

“ sushi tabe tai ”

手も足も出ない。

 

#が #171219

『ボールペン』#3

1年くらい前に見かけて以来、普段使いのボールペンは「Juice up 0.3(pilot)」のブラックとブルーブラック。筆圧が強くかかっても丈夫なペン先ながら、とてもとても細くサラサラっと書けて重宝している。それまでは「SARASA CLIP 0.3(ZEBRA)」。理由は同じくペン先の強さと細さ。

ノート(手書き・作業用)に文や絵をガリガリ書くときに文字が小さくなりがちな私、線が込み入った漢字(「看過」とか「建築」とか「平面・断面」とか)を書くと横棒がぎゅーっと近接する。特に弱るのは「建築」。自分のノートに書くぶんなら、「平面・断面」あたりなら「plan・section」と書けばわかるし速いし、ネイティブの手紙みたく書いてみればもう愉快(「看過」は思いついたから挙げたけどそうそう書かないや)。ただし「建築」に関しては自前のノートにも「Architecture」と書くのは却って仰々しいし「ケンチク」は変に対比的・抽象的に過ぎる。また自分の出身大学等々を書く公式な書類では「建築」と書く以外ない。線を書き分けられず黒い塊になったんじゃ困る。「●▲学部●▲学科」。伏せ字というよりクイズみたいだ。とにかく線はボールペンで自ずと書き分けられるのが一番。

使うボールペンに関して気にするようになったのはたぶん、大学1年の後期、「建築デザイン基礎」(だっけ?)の授業で非常勤の建築家の川西先生から教わっていたとき。「建築」について学ぶ初めが川西先生からで、本当によかったと思っている。授業のたび、課題の趣旨・考える時のコツと要素(backgroundとconceptの話)・エスキス(設計案に関して先生や同輩と行う意見交換)などなど、ほんとうにたっぷり時間制限なく(なにせ3,4,5限ぶっ通しで、次の授業もなかった)話してくださった。そのなか、設計案を考えるスケッチ帳・エスキス帳に何かを書くとき「考えたことを、消せるものでは絶対に書かないこと」と言ったのはくっきりはっきりと覚えてる。「堂々とでっかく太く書き残しておくこと」と。2010年ごろ、まだフリクションボールペンが普及していないころ。高校生上がりで、なおかつ前期にあったスケッチ課題で鉛筆やシャーペンで描く癖が残っていたころ。「自分が何をどう考えたか、考えた経過を残しておくこと」、大学1年の頃は書くもの描くもの未熟で稚拙で、嫌でしょうがなかった。当然、シャーペンでうっすら書いては消して、「せめてこうありたい」って姿に調整していた。「消さない」指令は強烈だった。

恐る恐るボールペンに握り変え、たしかSARASA CLIPの0.7とか使っていたと思う。エスキス帳は、安くてたっぷり書ける無印良品のB5版のらくがき帳。0.7のゲルインクボールペンは、小さな字も絵も許さない。1ページごとに一案・添え文・ポンチ絵・反省、パワーポイントよろしくスライド的に書いてた。とにかく、見返しづらかった。わたしの脳はページわけするとすっかり切り替わってしまうらしく、全てが一面に入っていないと思考がスパークしなかった。そうすると結局、とっちらかって放漫で「結局何をどうしたいの」「そのコンセプトは、このテーマで取り上げるものではなくない?」ということになる(考え事の誘発剤にと、まったく関係外のところから種を拾ってくるのは当時から変わらん)。

それはともかくとしてとにかく、書き始めたら止まらないもの(#0の『雑文』以来淀みなく進んだ)は一息に、一面に、漢字の細かさを気にせず、書きおさめて眺めたいものです。

 

#ボールペン #171218