一日につき千文字くらい

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『ギザジュウ』#8

家の机の横っちょ、本棚とペン立てが乱立(わたしの部屋と机は基本的にきたない)しているなかに、中学の美術の授業で作った、直径10センチ高さ5センチほどの籐のカゴうつわがあった。そのなかに、これまた雑然と消しゴムやボタンやキーホルダーのホルダー部分が入ってる底に、10円玉と100円玉が数枚ずつじゃらついていた。へそくりか、洗濯物でうっかり回しちゃって出てきたけど財布に入れ忘れたのがあったか、と思ったけどその10円玉のうち数枚、古臭くて青サビのついたのもあるけど周りにギザギザがついているのを見留めた。ギザジュウ。

みなさんご存知だろうか、いまあまりテレビでも注目されているのを見てないけれど、小・中学生の頃に見た鑑定系の番組や雑学・クイズ番組なんかで時々取り上げられていて収集欲を駆ったものだった。

小・中学生の頃、買い物はもっぱら小銭、100円玉や10円玉が主だった(中学生の頃は、もすこし単価高かったわな)。お釣りでもらった10円玉は必ず側面をチェック。もしギザギザがついていたならばカードポケットに移して、うっかり使ってしまうことのないよう選り分けた。そうホイホイと出てくるものではなく、「貴重」と言われるだけのことはあるなと思った。わたしの財布の小銭スペースはいつでもジャラジャラと重かった。なるべく10円玉のおつりが出るよう支払っていたし、当時、お札は持ち慣れておらず財布が「重い」ということはお金が入っているんだと実感できて苦にもならなかった。宝にめぐり合うのをひたすら待った。そんな小銭スペースも、500円玉は貯金箱行きで見通しは良かった。

初めに出たギザジュウのことは覚えていない。喜びがあったのかどうかも覚えていない。たしか周りのひとが早く、多く集めていて遅れをとっている状況だった。そもそも、テレビが先か、誰かが持っていたのが先か、それも記憶にない。追いかけて追いかけて、世界から少しずつギザジュウが消えていくなか夢中でお釣りを生み出し続けた。

今日、器の底から出てきた数、総じて8枚。なんとも多くもなく、少なくもない、中途半端な数だと思った。おそらく流行りが過ぎて、飽きたんだろうなと想像する。集めた数も、10枚には満たないけど悪くない数字に思える。

いまの私にはギザジュウ収集への情熱はさっぱり無い。この8枚をどうしようかと、しまい場所を考えあぐねて、ひとまず机に重ねて置いている。8枚あると、結構重みがある。いまこうして打ち込んでいるスマホより重たく感じる。

ほんとうか。

iPhoneSE → 113g

10円玉8枚 → 36g(4.5g/枚 × 8)

まったく、軽い。

 

#ギザジュウ #171223