一日につき千文字くらい

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『ラッキーナンバー』#7

日本では7がラッキーナンバーとして一般的ですね、ラッキーセブンが(地元川崎のパチンコ屋にはタイガーセブンがある)なんとなーく大事にされる。わたしもなんとなーく気にします。ただ、気にする具合で言えばラッキーな7より、アンハッピーな4や9の方が強い。できれば遭遇、目にする回数は少なくしたい。7って数字を積極的に取りにいくことは、回しものぐらい。ポケモン緑のタマムシシティで回したのが最後か、金銀で回したかあるいは。それでこの一文が、今回のノートにおける7文めで、ファンファーレが鳴るともないが私のイヤホンからちょうど好きな曲、スーパーカーのKarmaが流れてきて快哉を叫んだのは胸中脳内。おめでとう7文め、よろしくありがとう8文め。

ラッキーナンバーは一般的な7よりも、ある条件下でのある数字、その方が胸のラッキー&ハッピーは強いように思う。私個人で言えば、若い番号から、名前からも由来して1、少年野球やってたころの守備位置と背番号5、誕生日の日にち21、…っとこんなもん。入試合格の番号をお気に入りに思ってたはずなんだけど一時期の流行りで終わり、いまやどの番号も覚えていなくてそれはそれで無念さを感じる。誕生日と同じ4桁数字なら時刻表示で見たらテンション上がるし、車のナンバープレートなんか特に。覚えていないしいま調べもしないんだが時刻表示については、自分の誕生日の並びを見る確率(回数)が高く(多く)なるのは研究結果があるんだったけか。想像するところ、無意識に目に入る表示から追って時刻を見てしまう、ということもありそう。時計や、車のナンバープレートにしても、数字が1でも違えば惜しいけど、違う(時計は待てば訪れるタイミングはあるけど、さ)。

ある数値や数量を表す記号・文字としての数字の役割がある、そう書いた上で、ラッキーナンバーが面白いのは、基本的に自然数(正の整数…これでいいんだっけ)だから「一致するか・一致しないか」が明確に分かれる、判断の余地をもたず決定する。12:22をラッキーナンバー(時刻)としていたとする。12:21や、12:23はわずか1分の違いで惜しいけど、不一致なのだ。

昨晩の「アジフライ=好きなもの」や例えば「トートバッグによくある白色=好きな色」と、自分に何かしら紐付く「好きなもの」を設定したとして、アジフライや、トートバッグによくある白色、これらは明確な境界線(集合の範囲、の、かな)を持たない。衣がしょぼしょぼでも、アジが小さくても、また見たことはないけどアジの開きが二枚重ねになっていても、アジフライであることには変わりない。トートバッグによくある白色にしてもそう。ただ、逆方向の認識というのは難しい。というのも、「アジフライ」からイメージされるものは基本的にひとつのイメージ像をもつ、のではないでしょうか。1人につきひとつ。先述した、衣・大きさ・量の例では、ひとつのイメージされるアジフライとは100%の一致はしていないけれど、この姿は自分が持っているアジフライと似ているところが多いぞ、条件に概ね当てはまるぞ、と解釈して「アジフライ」と認める。

いま、一義的なものである数字と、多義的・抽象度の高いアジフライ(ものの名称)とを対置してみて何がわかるか。正直、なにか対照して明かそうと並べたわけでなく比較をするでもなかったから、何か判明するというほどのことはない。たまたま、今回の投稿ノートが#7で、「ラッキーナンバーだ、ラッキー」って思う気持ちからお題目にしましたが、「たまたま合致したら嬉しい」その気持ちは、一切のズレもなく一義的にピタリと同じ数字でハマってくれるから、安心して喜べる、のかもなぁと思わされた今回の書きもの。

 

ある物事を「わかる」とは、「心像を描ける/心像に結びつく/心像に合致する→自分で心像を再構成できる」ことだそう。『「わかる」とはどういうことか』(山鳥重,ちくま新書)から、微妙な誤認識を生むかもしれないけれど上記。

引っ張ってきたこの文が7段落めとなったので、結びます。

 

#ラッキーナンバー #171222