一日につき千文字くらい

一日につき千文字くらい

『布団』#2

人間の三大欲求から話すまでもなく、行為およびそれに伴う感情その他の要素を総じて、寝ることが好き。です。わたしを知っている人でわたしの睡眠に際したり、わたしに訪れた睡魔を目にした人ならば無論ご存知かと思います。

じゃあ、なんで今回のテーマが『布団』であって「睡眠」でないのかといえば、テーマとして抽象的に過ぎるってことがひとつ。もうひとつは、勘というか、ひねくれともいうか、個人的になんとなく「こっちのほうがいいよな?」って感覚。

建築学生やその他、分野によってはあるあるなことかもしれませんが、仕事スペースでの夜を徹した作業に際して睡眠を確保しようとしたとき、「机に突っ伏して眠る」「椅子を並べてその上で眠る」「机の下の寝袋で眠る」など、方法はいくつかありますね。回復することを第一に考えれば、短時間でも布団で気持ちよく休んだほうが効果的なのですが。私個人がやって(しまって)いた眠り方が、「事務椅子の背もたれに頭と首の付け根を乗せて顔は上(むしろ後方)を仰ぎ、背は伸ばして尻を座面の端に置き、脚は背からそのまままっすぐに伸び、首・尻・足の3点で支持した直立仰ぎ見姿勢」でした。不気味です。ほんと家に帰って布団で休めよって感じですね、つくづくそう思います。今27歳、あの当時20歳前後は熟睡できていましたが、ちょっと、同じ休息を得られるかは自信がないです。

じゃあなんで、なんで布団が尊いのか(良い、を一足飛びに越えました。ふっとn)。

三者三様な凹凸をもつ身体を一枚でもなお全面的に受け止め、 寒さを感じる身は柔らかく包んでくれますね。冬には欠かせない毛布のさわさわとした肌心地には、寒くても構わず袖や裾を上げ、もぞもぞと腕や脚を触れ合わせてしまう。ちょっぴり色めく。

この季節、冬の入りには敷布団にもふわふわのシーツをかぶせたり、掛け布団には毛布に加えて羽毛布団を出し始めたりと、“あたたかいお布団”に支度が変わる。一方、いま想像はしづらいけれど夏のお布団はどんな支度かといえば、触れる肌の面積の広さ・布団との近さから“さらりとした”、“肌心地の良い”、そんなお布団に衣替えをする。わたしたちの睡眠の快適さを、一日の終わり(贅沢に午睡をする場合もありますが)を安心して締めくくるためのお布団は、ツールでもあり、パートナーでもあり。(シャーマンキングのオーバーソウルみたいなものか)

お布団を想うときに外せないのは、高野文子さんの絵本『しきぶとんさん  かけぶとんさん  まくらさん』。彼女に連れられて行った原画展(いろんな機会に巡り会う)で邂逅を果たしたのが初め。一枚ごとに一つ一つの色がパッと目を惹き、男の子の「こわい夢」「おもらし」など不安を、しきぶとんさん・かけぶとんさん・まくらさんが安心させてくれる様子がたまんないんです。

この文章、布団の中で打つべきだったかどうだったか、夢中だったか、どうだったか。

 

#布団 #171217

『年齢』 #1

   27歳になって早7ヶ月ほど、ということは半年以内に28歳になるということ、ということもおいといて、25歳になった時とはくっきりと違う“アラサー気分”を抱えています。

   今回のテーマ『年齢』は、このノート群(複数になったので)を作り始めた背景「何も積み上げていない焦り」から“作るぞ”と決意するに至った過程で、大きく影を落としており(後ろ暗い感じがピッタリ)。

   昨日の昼に、友人の結婚式二次会の備品を買い揃えて、夕方から『POPEYE 2016MARCH 「仕事とは?」』を読みつコーヒー休憩していた。数ヶ月前に古本屋で買ってから積ん読になっていたもので、買った当初(仕事してたかな?)「あした、これから、将来、何して生きていこう」みたいな心地だったんだと思う(今も変わらんな)。その特集では、エンダースキーマのデザイナー、柏崎亮さんの記事から始まって、何十人かのインタビューと編集記事が2、3ページずつ編まれている。生い立ちや仕事の契機、今後の見通しなどなど。買った当時にも何人ぶんかは読んだんだと思う(なにせ見覚えがある)けれど、今回はそのひとの考えと行動の履歴を生年から追ってトレースする読み方をしていた(途中まで無意識的にで、幡ヶ谷のバー「ウォーカー」バーテンダー渡辺晋さんの記事あたりで自覚した)。文中に表れる「○○さんが始めたのは20XX年、n歳のとき」「大学A年のときにふと、」なんかが目を留め、ページの縁に「1989年生まれ」などとあればもう居たたまれなくなってくる。平日の日中、喫茶店(色合いと壮年感からベローチェが好き)で200円のブレンドを飲みながら「仕事とは?」と問うてくる雑誌を読んでいるわたくしが。ちなみにインタビュイーの年齢は、読み終えてみて1985年前後が多かったように思う。30歳前後、アラウンド。自分27歳から28歳へ。焦る。

   登場人物のみなさんをその場でパッパッと検索していった。検索するまでもなく方々のメディアで目にして耳にして知り得ている人もいるけれど、それぞれに健在で仕事・事業はかっこよくてまた広がりを見せていたり、素敵な評文が書かれていたりと、何かしらが重厚に積み重ねられているのが、よぉくわかった。

   勿論、ここに取り上げられているのはほんの数十人であって、30歳前後では各年齢ごとに60万人ぐらいずついるらしいくて(調べてみた平成26年10月の人口統計から)、0.00n%の人を「カッコいいな」と参照したに過ぎなくて他人と比べてどうこうってことなくて、ただ、ダサいなって思ったことを看過してしまうのは猛烈にダサいなって痛感した次第。

   今日の文は長い電車道中で書いていたんだけど、乗り換え駅で見かけたシュッとしたナリの20歳くらいに見える男の子が、背負った黒いリュックのバックルには最近よく見る小さいスケボー留めて、それで手元の小冊子、英単語ターゲット1900を食い入るように読み込んでいて。もうメチャクチャにカッコよくって。

 

#年齢 #171216

『雑文』#0

起承転結があるでも辞典的意味があるでもない、ある単語ーー品詞を問わないーーについて千文字ぐらいの文章を書いてみようと思った。一日ずつ、思いついた単語について。

   勤めていた設計事務所を8月いっぱいで退職して以来およそ3ヶ月と半月、大学時代にしていたアルバイトをちょこちょことやりながら、片っ端から本を読み、まくるとは言い難いマイペースさで、漁った。今後の我が身は順調にゆけば来年の4月から大学に入って新しい勉強を始めることになる。仏教、日蓮宗。この転機を控えてじわじわと身に迫ってくるのは「生計をたてること」と「将来への不安」。これまでと考えるべきこととしては何ら変わっていないものの、明白で重厚な存在感を携えて脳を去来する。

   建築設計は一旦おいておく。ただ、過ぎゆく日々の中でいま何も積み重ねていない気分、くっきりとした焦りを感じて、何かをしなきゃと思い始めた。はじめはノートに毎日左手のスケッチを描こうと思った(私の利き手は右手)、けれど馴染まず向上心が芽生えなかった。じゃあ、と、建築設計やってたんだからと、何かしらイメージや理想や静物・動物あらゆるものの断面のスケッチを描こうと思った、しかし空間と物体とを等価に描くのはなんというかうまく毎日性を持たせられなかった(ある日に「手すりのない中二階」を描いて次の日に「マグカップ」を描いたら次の日は、と混乱した)。

   それで軽いいくつかの挫折を経ていま、テキトウな物事についてならパッと書けるし、いつだかtumblrに1年間毎日(何回かは翌日朝の遅れ提出みたいなルーズさがあったけれど)、日記というテイで思いついたことやそのとき考えていたこと、周囲からの刺激で反射的に考えさせられたこと、はたまたは体裁どおりの日記を書いていたことを一応の自信として、こんどはテーマを“単語(品詞問わず)について”にいちおう設定して書いてみようと思った次第。

   これから書き重ねていく文章を構成するものは、先に述べたテーマ“単語(品詞問わず)について”と、量感として“千文字ぐらいの文字数”。

   テーマの単語を(品詞問わず)とした理由は、形容詞や助詞についても書いてみたいなと思ったから。単語とした理由は、それ以上分解できない素材として真正面からガシッと取り扱ってみようと思ったこと、それと、自分自身の手の届く・脳が到達できる範囲にある単語でもって自身を彫り出すようなあぶり出すような照らし出すような客観視ができるかなって期待。

   もうひとつの構成要素“千文字ぐらいの文字数”は、私が一気に淀みなく書いて一息つくタイミングがだいたい千文字ぐらいだっていう、それだけ。量として読みやすいかは、感想を得てから、内容も踏まえて再考しましょう。

   ここまでで、1130文字。初回だからか気負いからか、ちょっと気合が入った雑文でした。

 

#雑文 #171215